01 大橋
仙台城の正面ルートである大手に位置し、城下町と城内を隔てる広瀬川に架かる橋です。城下町から仙台城へ向かう人々の視点を追体験できます。
橋からは、川底に残る、かつての大橋柱脚の痕を見ることができ、往時の正面ルート(大手道)が現在より北側にあったことが分かります。
現在の大橋は1938年建築のアーチ橋であり、広瀬川に架かる景観も見どころの一つです。02 胸像
仙臺緑彩館近くの「もりの庭園」入口付近に設置されている伊達政宗胸像は、1935年に宮城県青年団の寄付により仙台城本丸跡に建立された初代伊達政宗騎馬像の一部です。
初代騎馬像は戦時中の金属供出によって撤去されましたが、戦後に胸から上の部分のみが発見されました。
現在、本丸跡に建つ伊達政宗騎馬像は、戦後に同じ原型を用いて再鋳造されたものです。この胸像は、初代騎馬像の姿を今に伝える貴重なものです。03 大手門跡
大手門は仙台城全体の正門です。大手門は高さ約12.5m、幅約19.7mの二階建で、全国最大級を誇った規模の城門で、仙台城の「顔」として城下町から訪れる人々を迎えていました。
現在は門そのものは残っていませんが、門跡に立つことで、往時の壮大な正門空間を想像することができます。
また、伊達政宗没後400年にあたる令和18年(2036)の完成を目指し復元整備が進められており、仙台城本来の城郭景観がよみがえる場所として注目されています。04 大手門脇櫓
大手門の南側に配置されていた櫓です。一部二階建の建物で、大手門とともに仙台城の正門周辺を構成していました。
1931年に大手門とともに国宝に指定されましたが、1945年の仙台空襲で焼失しました。
現在の脇櫓は1967年に市民の寄付により再建されたもので、ありし日の仙台城のようすを偲ばせる、仙台城を象徴する景観の一つとなっています。05 大手門北側土塀
大手門の北側に位置する土塀で、大手門とともに仙台城の正門周辺を構成していました。
1945年の仙台空襲で大手門をはじめ多くの建物が焼失する中、この土塀は被害を免れ、現在までその姿をとどめています。
仙台城唯一の現存建造物で、往時の城郭景観を今に伝える貴重な遺構です。大手門跡や脇櫓とあわせて見ることで、仙台城の正門周辺がどのような空間の広がりだったのかを感じることができます。06 中門跡
中門は、大手門から本丸へ向かう登城路の途中に設けられた門です。二階建の門で「寅門(とらのもん)」とも呼ばれました。
中門は1920年に取り壊されたといわれ、その部材が第二師団長官舎の門(現在の知事公館の門)に使用されたと推測されています。
中門付近には明治4年(1871年)から昭和4年(1929年)の間、大砲が置かれ、仙台市民に正午を告げていました。
現在も石垣とカギ形に折れ曲がった道が残っており、当時の門の規模をうかがうことができます。07 五色沼
五色沼は、東丸(三の丸)の北側に設けられた堀の跡です。現在の幅は約45mですが、江戸時代は幅が約30mで現在より狭いものでした。
東丸(三の丸)の北側と東側は地形が平坦であったため土塁とともに設けられ、城の防御を担っていました。
五色沼は日本フィギュアスケート発祥の地としても知られています。1905年には、日本で初めてフィギュアスケートが行われた場所とされています。
また、五色沼周辺は春になると桜が美しく咲き誇り、歴史と自然を感じながら散策を楽しむことができます。08 子門跡
子門(ねのもん)は、東丸(三の丸)の北側に設けられた二階建・瓦葺の門です。門前にはカギ形の石垣が築かれていました。
また、その西側には外繋(とつなぎ)と呼ばれた厩(うまや)が設けられ、馬で登城する重臣たちはここで馬を下りていました。
現在も門跡の両脇には石垣が残っており、往時の門の位置や規模をうかがうことができます。09 東丸(三の丸)土塁
東丸(三の丸)の東側と北側には土塁が設けられています。土塁とは土を盛って築かれた城を守るための防御施設です。
東丸(三の丸)の北側と東側は地形が平坦であり防御上の弱点であったため、水堀とともに設けられました。
堀からの高さは最高で12mに及び、土塁の上に立つことでその高さや規模を体感でき、お城の防御施設としての役割を身近に感じることができます。10 長沼
長沼は、東丸(三の丸)の東側に設けられた堀の跡です。現在の幅は約23mですが、江戸時代は幅が約30m以上で、もっと幅が広かったようです。
さらに南側には現在は埋められていますが、L字に折れ曲がる形の堀が設けられていました。東丸(三の丸)の東側を守る重要な防御施設の一つでした。
現在の長沼は、水辺の自然が残る憩いの空間となっており、カルガモやカワセミなどの野鳥が見られることもあります。
水面に映る木々や土塁の景観は、かつての城の防御施設としての姿と、豊かな自然が共存する仙台城ならではの見どころです。11 巽門跡
巽門(たつみもん)は、東丸(三の丸)の南側に設けられた二階建・瓦葺の門です。
大手門を経由する登城路とは別に設けられた、もう一つの登城路の起点として利用され、1945年の仙台空襲で焼失するまでその姿を残していました。
現在、門跡には発掘された当時の礎石がそのまま使われて保存されており、現在は14個の礎石が復元されています。
江戸時代の門の位置や規模を間近に感じることができる貴重な場所です。12 造酒屋敷跡
東丸(三の丸)の南に隣接して、幕末まで仙台藩の酒造に携わった榧森家(かやのもりけ)の住居や酒造施設がありました。
1608年に伊達政宗は、酒造りの本場であった大和国(現在の奈良県)から酒造職人を仙台へ招き、仙台城内に屋敷地と酒蔵を与えました。
城内に酒蔵を置くことは全国的にも珍しく、仙台城の特徴の一つでした。
日本酒のほか、ぶどう酒、みかん酒、びわ酒、みりん酒、夏氷酒など20種類程度の酒類を製造したと伝えられ、その技術は仙台領内の酒造業にも大きな影響を与えました。13 清水門跡
清水門(しみずもん)は、巽門から沢門へ向かう登城路の途中に設けられた二階建・瓦葺の門で、付近に湧く清らかな水にちなんでその名が付けられたと伝えられています。
門跡の両側に残る石垣には野面石や割石が用いられており、門へ至る坂道は現在も急勾配のまま残されており、敵の侵入を困難にした仙台城の高い防御性を体感できる場所でもあります。14 沢門跡
沢門(さわのもん)は、巽門から清水門を経由する登城路と大手門からの登城路の合流点に設置された門です。
特に清水門から沢門へ至る登城路は大きく屈曲し、侵攻する敵に対し側面攻撃できるよう工夫されていました。
戦いに備えた登城路となっており、仙台城の高い防御性を体感できる場所でもあります。15 本丸北壁石垣
本丸北壁石垣は本丸詰門に向かって左側の石垣です。四角く加工された切石を用いた布積みの石垣で、美しい反りを描く仙台城を代表する石垣です。
高さは最大約17mに達し、使用されている石材の中には約6トンにもなる巨石があります。
また、一部の石材には石工が刻んだ刻印(〇、△、#、+など)が残されており、石垣築造に携わった職人たちの存在を今に伝えています。
平成9年(1997)から16年(2004)にかけて解体修復工事が行われ、その過程で築城期から続く石垣の変遷が明らかになりました。16 詰門跡
詰門(つめのもん)は、本丸の北側に設けられた二階建・瓦葺の門で、本丸の正門でした。門の棟には鯱瓦(しゃちがわら)がのせられていたようです。
門の両脇には、東脇櫓・西脇櫓と呼ばれる三重の櫓(やぐら)が建てられていましたが、正保3年(1646)の地震で被災したとみられます。
現在は門の礎石が2基だけ残っています。17 大広間跡
大広間は本丸の表御殿として用いられた建物で、東西33.5m、南北26.3m、約430畳の広さを誇り、藩主と家臣が対面する仙台藩の中心施設でした。
現在は発掘調査で確認された礎石跡に合わせて礎石が配置され、建物の大きさや14の部屋の配置を感じ取ることができます。
藩主が座った「上段の間」や、天皇家・将軍家を迎えるための「上々段の間」が設けられていた場所に立つことで、かつての本丸御殿の壮大さや格式の高さを身近に感じることができます。18 本丸北西石垣
清水門(しみずもん)は、巽門から沢門へ向かう登城路の途中に設けられた二階建・瓦葺の門で、付近に湧く清らかな水にちなんでその名が付けられたと伝えられています。
門跡の両側に残る石垣には野面石や割石が用いられており、門へ至る坂道は現在も急勾配のまま残されており、敵の侵入を困難にした仙台城の高い防御性を体感できる場所でもあります。19 酉門跡
酉門(とりのもん)は本丸の西部に設けられた二階建・瓦葺の門です。石垣に沿って進み、左に折れたところに二階建ての門が建てられていました。
酉門より南側には石垣が設けられておらず、急斜面を人工的に削って整えた切岸(きりぎし)によって防御が図られていました。
石垣や地形から、仙台城の防御の仕組みを体感することができます。20 騎馬像
現在、本丸の北東部に設置されている伊達政宗騎馬像は1964年に再建された2代目のものです。
本丸の端から東側を向いており、現在の仙台市街(中心部)や太平洋を一望できる位置にあり、騎馬像の前に立てば、政宗公と同じ視線で現在の仙台市街(中心部)や太平洋を展望することができます。
また、日没~23時まで石垣と伊達政宗騎馬像がライトアップされ、100万都市仙台の夜景を楽しむこともできます。21 懸造跡
懸造(かけづくり)は本丸の東側の崖に突き出すように設置された建物で、崖に突き出た縁が特徴の数寄屋風書院造の建物です。
建物の規模は長さ約19m、横約6mと推定されています。
現在の土井晩翠歌碑の南側にあり、市街地を一望することができます。22 巽櫓跡
巽櫓(たつみやぐら)は本丸跡の南東部に設けられた瓦葺の三重櫓で、北側には付櫓(つけやぐら)が配置されました。
正保3年(1646)の地震で被災した後は、再建されなかったとみられています。
巽櫓跡付近では、伊達家にゆかりのある経ヶ峯(瑞鳳殿)、愛宕山、大年寺山などを一望することができます。












